TKスタディーズ001 - 中森明菜 『愛撫』

今回より「TKスタディーズ」という試みを不定期で行っていきたいと思う。ここではその名のとおりTK=小室哲哉の楽曲分析を通し、その魅力の一端に迫ることを目指している。とはいえ私は正式な音楽教育を受けた経験はない。したがってその内容には誤りが含まれることも多々あるだろう。しかしこれまでそのセールス的な成功に反して正当な音楽的評価を受けてきたとは言い難い小室哲哉の楽曲たちに、ささやかではあれ新たな光を投げ掛けることには少なからず意味があると感じている。そしてそこに隠された「音楽の秘密」を一つでも多く見つけ出すことができれば…そんなことを考えている。「TKスタディーズ」の世界へ、ようこそ!

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今回取り上げるのは93年にリリースされた中森明菜のアルバム『UNBALANCE+BALANCE』に収録された「愛撫」である。この楽曲は有線チャートで3位にランクインするなどじわじわと人気を拡大し、その翌年の94年3月にシングルカットされるに至っている。その意味でこの楽曲は小室哲哉がプロデューサーとして一世を風靡する直前の時期における隠れた名曲であると言うこともできるだろう。

この「愛撫」は、大きく[Aメロ][Bメロ][Cメロ][サビ]という4つのパートから構成されている。そして[Aメロ]のキーは「A♭」、[Bメロ]のキーは「B♭」、そして[Cメロ]と[サビ]のキーは「B」を基本としている。この中で非常に特徴的と思われる点は[Aメロ][Bメロ][サビ]の3箇所においてあの|Am|F|G|C|という小室哲哉の代名詞的な循環コードが前述のような転調のもとで繰り返し現れていることだろう。つまりこの楽曲の8割近くは、あの「Get Wild」のサビにおけるコード進行とそのバリエーションによって成り立っている。そしてこの楽曲にある種の魅惑的な中毒性を刻み込んでいるのが[Cメロ]における以下のようなコード進行だ。
|EM7|EM7|D♯m7|F♯m7 G♯7|C♯m7 BonD♯|E BonD♯|C♯m7 BonD♯|E F♯|
これを山下邦彦の『楕円とガイコツ』にならい「移動ド」的に「C」へ移調すると次のように表すことができるだろう。
|FM7|FM7|Em7|Gm7 A7|Dm7 ConE|F ConE|Dm7 ConE|F G|
ここでは[Cメロ]の1小節目と3小節目において現れる「Lonely Night」というフレーズを構成する「ミ」と「レ」の2つの音が「FM7(ファ‐ラ‐ド‐ミ)」と「Em7(ミ‐ソ‐シ‐レ)」という和音とのぶつかり合いにおいて心地よい緊張感を作り出している。そして4小節目における「瞬いて消える」(あるいは「寄せて返すだけ」)というフレーズのもとでは「Gm7(ソ‐♭シ‐レ‐ファ)」から「A7(ラ‐♯ド‐ミ‐ソ)」への流れの中で調外の「♭シ」「♯ド」が導入されるとともに|ミファソソ|ソラファミ|というメロディラインとのスリリングな緊張関係を形成する中で、まさに“愛撫”にも似た刹那的な高揚感を生み出すことに成功している(特に「Gm7(ソ‐♭シ‐レ‐ファ)」とメロディ冒頭の「ミ」が13thの響きを作り出す瞬間はこの楽曲のハイライトと言えるだろう)。
さらに2コーラス目の[サビ]から[間奏]([Cメロ]のバッキングをベースにしている)へ移行する際には、これも小室哲哉の代名詞的な手法である半音上がる転調が用いられている。ということはつまり、2コーラス目以降の[Bメロ]→[Cメロ][サビ]→[間奏][Cメロ][サビ]という一連の流れにおいては、パートが切り替わるごとにキーが「B♭」→「B」→「C」と半音ずつ上がっていくことがわかる。こうした半音転調の“進行感”がもたらすめくるめく官能性もこの楽曲を極めて中毒的なものとする要因の一つになっていると言えるだろう。
一方、この楽曲のアレンジに目を向けてみれば、その手弾き感溢れるボイスサンプルやドラムフィルの扱いに小室哲哉ならではの“指先のグルーヴ”すなわち“TKの署名”を見つけ出すことができる。そしてこの数値化不能な“ゆらぎ”こそが、この楽曲に交換不能な音楽的力動を刻み込んでもいる。
小室哲哉による楽曲はおそらくその唐突に感じられる転調も含めて驚くほどロジカルに構成されている。そしてそのアレンジはおそらくそのハードウェアシンセサイザーの多用も含めて驚くほどフィジカルに構成されている。この“ロジカル”と“フィジカル”の奇妙な共存こそが小室哲哉における音楽的魅力の源泉となっていると要約することもできるだろう。

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今回の試みは“大衆による大衆音楽のアナリーゼ”すなわち“ポップアナリーゼ”のささやかな実践でもある。さて、この「TKスタディーズ」は次回に続く…!?