Keiichiro Shibuya『ATAK018 Soundtrack for Memories of Origin Hiroshi Sugimoto』─記憶の中で鳴る音の純度─

ATAK018 Soundtrack for Memories of Origin Hiroshi Sugimoto

ATAK018 Soundtrack for Memories of Origin Hiroshi Sugimoto

現代美術家杉本博司がその代表作の一つである「建築」シリーズの中で焦点距離を無限大の二倍に設定して被写体を撮影することによりその茫漠とした像に「形」の本質を浮かび上がらせたように、音楽家渋谷慶一郎は打鍵から減衰に至るピアノの移ろいゆく音色変化を極めて高い解像度のもとで切り取ることによりその抽象的かつ調和的な余韻に「響き」の本質を見出した。
本盤において提示された豊穣なピアノの響きはピアノとコンピュータの出会いによってもたらされる新たな可能性を切り拓くとともにプリペアドピアノ以来の発見とも呼ぶべき鮮烈な驚きを私たちに届けてくれる。
そしてこうした音響的な側面における語り尽くせないほどの先鋭性が本盤の中核をなす要素となっていることは疑いようのない事実であるが、おそらくそれだけが本盤のすべてではないということも急いで付け加えておかなければならないだろう。

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たとえば本盤の三分の一ほどは叙情的な旋律を伴ったピアノ曲によって構成されている。ここではいわゆる一般的な映画のサウンドトラックのようにいくつかのテーマを変奏するといった手法は採用されずに、曲ごとに新たな旋律が生み出されては次々と集積されていく。そしてここにおいてあの『サクリファイス』において提示された反復を含まない構造と記憶にアディクトするフラグメントが織りなす中毒性の問題系が再び立ち現れる。
一つの試みとして本盤における叙情的な旋律を伴った楽曲とその調性をまとめるとすれば以下のようになる。

  • tr06 「Timeless」 〔A〕
  • tr09 「Empty Garden」 〔E〕
  • tr12 「Life」 〔A〕
  • tr15 「Memories of Origin」 〔D〕
  • tr16 「Limitless」 〔A〕

ここでは〔A〕〔E〕〔D〕という三つ調が用いられている。そしてこれら三つ調は〔A〕をその中心に据えたとすれば〔E〕がその「属調」となり〔D〕がその「下属調」となる。つまりここには〔A〕のドミナントが〔E〕のトニックを導き、〔A〕のサブドミナントが〔D〕のトニックを導くとともに、〔A〕のトニックが〔E〕のサブドミナントと〔D〕のドミナントとを導くような関係性がある。そしてここで重要になるのは〔A - E〕におけるトニックとサブドミナントを結ぶ「AM7」と、〔A - D〕におけるサブドミナントとトニックを結ぶ「DM7」という二つの響きである。
上記の五つの楽曲は、というよりそれらの楽曲を構成する旋律の断片は「AM7」と「DM7」という二つの通路を介してある種リゾーム状に接続される可能性を持つ。そしてこの特徴は〔A〕〔E〕の楽曲においてそれぞれサブドミナント(DM7とAM7)を中心とした展開がなされ、〔D〕の楽曲においてトニック(DM7)を中心とした展開がなされることによりさらにさらに強められる。その結果として『サクリファイス』においてなされた試みは新たな次元へと拡張され、聴き手の記憶の中に永遠に閉じることのない多数多様の旋律の組み合わせを半ば強制的に生成させることに成功している。

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渋谷慶一郎は3.11直後における「おわりの音楽をはじめよう」という宣言とともに単なる反復構造や起承転結性を越えた新たな音楽形式を実践的に提示し続けている。そしてそれらは“先鋭的な音響”という形式をとるにせよ、“叙情的な旋律”という形式をとるにせよ、聴き手の“記憶”までをも極めて高い精度のもとで捉えはじめている。
その意味で本盤は“記憶の中で鳴る音の純度”をその極限までに追求した果てに抽出された結晶が、この終わりゆく世界の絶望的な夜空に不意に美しい星座を描いたかのような輝きを放っている。