Mark Fell『Sentielle Objectif Actualite』―記憶可能な音と記憶不可能な音の〈中間層〉―

Sentielle Objectif Actualite

Sentielle Objectif Actualite

ひとたび本盤を耳にすれば、その音色の密度と律動の精度に誰もが光速で打ちのめされるだろう。
しかしおそらくここには深遠な謎は何もない。
どういうことか。

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本盤の紙ジャケットを開けば、そこにはマーク・フェル自身によるものと思われる注釈が付されている。
そして驚くべきことに、その中には、本盤の制作過程において使用されたPCやDAW、ソフトウェアシンセサイザー、ハードウェアリズムマシン、モニター環境などが仔細に記されている。
さらに言えば、クラップやキックの音色名、サンプリング素材の詳細、そのレイヤーやパンニングに関する情報までもが何のためらいもなく明かされている。
その意味で、本盤における高密度の音色たちは、その一つ一つがイコライザーやコンプレッサーなどを介して一分の隙もないほどに磨き上がられているとはいえ、その発端は思いのほかありふれた機材にあることがわかる。

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一方、“Additional DJ notes for playback synchronisation”として以下のような些か風変わりな記述が見られる。
例えば、トラック1については次のように記されている。

Track 1 has a tempo of 137 beat per minute with a rhythmic loop of 30 units each lasting 109.49 milliseconds.

これを直訳したとすれば、「トラック1はBPM137でありそれぞれ0.10949秒持続する30ユニットの周期的なループからなる」といった程度の意味合いになるだろう。
では、ここにおける「それぞれ0.10949秒持続する30ユニットの周期的なループ」とは何か。
その意味するところは、以下のような式から明らかになる。

  60÷137÷4=0.10949

この式は、1分間(60秒)を137で割ることによって求められる4分音符1つの秒数、それをさらに4分割することによって求められる16分音符1つの秒数が、この「0.10949秒」であることを意味している。
すると、先の風変わりな記述は、「BPM137で16分音符が30ユニット連なったループからなる」といった意味合いとして捉えることが可能になる。
このように考えると、トラック2は「16分音符が31ユニット」、トラック3は「8拍3連音符が17ユニット」、トラック4は「16分音符が60ユニット」、トラック5は「16分音符が16ユニット」、トラック6は「16分音符が64ユニット」、そしてトラック7は「16分音符が31ユニット」からなるものとして、それぞれ捉えることができる。
したがって、聴感上は、トラック5とトラック6は「4分の4拍子」として、トラック1とトラック4は「8分の15拍子」として、そしてトラック2とトラック7は「16分の31拍子」として、それぞれ聴取することができるだろう。
そしてここで着目すべきは、「8分の15拍子」や「16分の31拍子」といった変則的なビートが織りなす複雑さそれ自体というよりはむしろ、それらが通常的な「4分の4拍子」というビートから単に「8分音符」や「16分音符」を1つ欠落させたものに過ぎないという事実である。
つまり、本盤を貫くある種の奇形的な音楽的力動性は、「拍節の欠落」という極めてシンプルなロジックに起因するものであることがわかる。

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冒頭に述べたように、本盤における音色の密度と律動の精度には深遠な謎は何もない。
それらは、ありふれた機材とシンプルなロジックによってのみ支えられている。
しかし、その結果として私たちのもとに提示された楽曲たちは、記憶可能な領域と記憶不可能な領域の境界を撹乱し続けるだろう。
それはつまり「ミニマル/バリエーション」と「ランダム」の〈中間層〉をめぐる問題系でもある。
今世紀、幾人かの先端的な音楽家によって探求されつつあるこの魅惑的な難題に対し、マーク・フェルによって提示された極めて美しい解の一つが本盤であると言っても過言ではないだろう。


[追記]
例えば、本盤の冒頭に配されたトラック1は、一定の音価のもとで繰り返されるエッジの効いたシンセパッドの音色によって幕を開ける。
ここにおいて私たちは、おそらくそのシンセパッドの音色を半ば無意識的に「4分の4拍子」という格子のもとで、「16分音符が16ユニット連なったもの」として捉えようとするだろう。
しかし、程なくしてキックやハイハットが織りなすビートが重り合った瞬間に、そのシンセパッドの音価は、実のところ「16分音符が15ユニット連なったもの」であったことに気づかされることになる。
そしてこの予期と現実の乖離(拍節構造上の齟齬)によって引き起こされる瞬間的な錯誤の感覚にこそ、本盤のエッセンスが凝集されていると言えるかもしれない。