坂本龍一/UST配信がもたらす聴取体験の変容

北米ツアーに始まり、UTAUツアーを経て、韓国公演へと結実した坂本龍一のUST配信。この一連の試みが社会的に与えたインパクトは多岐にわたるが、それらについて論じるのは他の方々にお任せすることにして、このブログでは、例によって私的な体験を拙い文章で書き連ねていきたいと思う。

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坂本龍一のライブをほぼ毎回のようにリアルタイムで視聴できるというのは何と贅沢な体験だったのだろう。これは、CDやDVDの視聴とは明らかに質の異なる画期的な出来事だった。そして、おなじみの名曲の数々を、各公演での演奏を通して繰り返し聴き続ける中で、坂本龍一があるインタビューで語っていた次のような言葉がふと頭をよぎった。

 あの『CASA』をジョビンの家で録音しているときに、息子のパウロが言ったひと言が、もう、ちょっと一生忘れられないような言葉なんですけど。「親父は、どんな曲でも、今その瞬間、作っているように弾いてた」って言うわけ。音を探りながらね、一瞬一瞬、今作っているかのように弾く、そんな弾き方だって。
 …そこにまあ、僕も近づきたいなと思うんですけど。
 …つまり、曲を作るときというのは、ためらいながら行ったり来たり…何か音を試して…逡巡しながら行くでしょ?その逡巡する、ためらうというところが大事なような気がするんですよね。
 …もう一瞬一瞬ためらっているわけですから、どうなるか分からないわけだから。(坂本龍一『/04 オフィシャル・スコアブック』)

そう、この一連のツアーとそのUST配信の中で坂本龍一によって奏でられたピアノの音は、たしかに「今その瞬間に作っているように弾く」ということを強く感じさせるものであり、公演ごとに微妙に異なったハーモニーが試されることもあれば、同じハーモニーであっても、そのタッチに繊細かつ大胆な変化が加えられることもあった。ときに、唐突に訪れる長大な即興演奏やある会場でのみ特別に演奏された楽曲に驚きと喜びを感じつつも、本当の意味での「サプライズ」は、幾度となく演奏される楽曲に織り込まれた微細な差異にこそあるように感じられたのだ。そしてこれは、私の中で、それまでとは大きく聴取体験が変容した瞬間でもあった。

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坂本龍一は、また別の場所で次のようにも語っている。

 いくら愛しているジョビンの曲とはいえ、毎晩のように同じ曲をやるのは結構飽きてたんだよね。ところが、ニューヨークが終わってロンドンへ行って演奏した時…音楽の理解というよりかは、自分が潜在的に持っている音楽的な「感情の深さ」、「深度」がガクッと深まる経験があったんだよね。…「悟り」に近いんだろうね。…同じように存在してても、違う理解に到る。
 
 そのようなことを経験できる音楽がね、古典というものの条件だと思う。…ジョビンの音楽というのは、たった今「古典になろうとしてる過程にある音楽」なんだ。
 
 ジョビンの音楽のその音でできることって、全部わかったつもりになってた。でも実はちょっと向こうにいるんだよね。…少し象徴的に言うと、音で詩をつくるみたいにさ、ドビュッシーマラルメみたいなことを音でやったらどうなるかって。…あるひとつひとつの和音のつながりというものは、すでにあったものだったりする。だけど、シュールリアリズムじゃないけど、まだ発見というか、まだ向こうがあるってことが見えてきたっていうか……。(坂本龍一後藤繁雄『skmt2』)

ジョビンの曲を演奏し続ける中で坂本龍一が到達した「悟り」にも似た音楽的深度の深まり。それはつまり、もうすでにわかりきったと思っていたところに、実はその向こう側があるということを発見する喜びでもある。そして今回のUST配信を通して坂本龍一が我々に伝えたかったことの一つは、実はこうした「音楽的深度への気づき」なのではないだろうか。

たしかに、坂本龍一はこれまで、ライブ音源を数日のうちにiTunes Storeで配信するということを試みており、そこにも「音楽的深度への気づき」を喚起しようする意図があったと考えることができる。しかしそこでは、仮に全公演の音源を入手したとしても、ライブ特有の経験の一回性がぎりぎりの地点で弱められてしまい、よほど熱心なファンでもない限り、そうした「悟り」にも似た境地に到達することは難しかったのではないかと思われる。

そして今回のUST配信である。ここでは逆に、ライブ特有の経験の一回性がぎりぎりの地点で保持されており、そのことによって「音楽的深度」への注意はより高められた状態となるだろう。そして、坂本龍一がそれぞれの会場の空気やそのときの精神状態などに応じて「今その瞬間に作っている」ようにピアノを奏でる。我々は時間的な都合が許す限り、その創造の瞬間に立ち会い、毎回のように視聴することもできる。こうした経験を繰り返す中で、「初めて聴くように聴く」といった感覚を次第に研ぎ澄まし、それぞれに「音楽的深度の深まり」を体感することにつながったのではないだろうか。

坂本龍一によるUST配信がもたらしたものは何か。その一つは我々の聴取体験の変容あり、ある楽曲に潜在する様々な可能性を聴き取ることの喜びであったと思う。そしてこの一連の経験は、「音楽の奥深さ」をまた別の視点から伝えているという意味で、どこか坂本龍一による『スコラ 音楽の学校』の壮大な特別集中講義であったようにも感じられるのだ。

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昨年末に参戦したUTAUツアーの仙台公演については、また別の機会に書きたいと思います。
あまりこまめに更新できない時期もありますが、マイペースで頑張ります!