2011年ベストディスク10+

2011年に聴いた新譜の中から10枚のアルバムをセレクトしてみました。その基準は「聴くたびにどれだけ心が動いたか」という点にあります。したがってその内容は私的で一貫性のない雑多なものとなっていますが、もし今年聴き逃してしまっていた“moving”な一枚を再発見する機会になったとすればとてもうれしく思います。それではどうぞ!


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[10] Tycho 『Dive』

DIVE

DIVE

 本盤との出会いはどこか、90年代初頭のワープ・レコーズによる「AIシリーズ」との出会いを想起させるものがある。それはつまり、エレクトロニック・ミュージックにおける新たな潮流が今まさに生まれつつあることに対する驚きと喜びである。音楽的にも音色的にも次第に複雑化する傾向にある現在のIDM周辺の楽曲にあって、本盤においてTychoが提示した極めてシンプルな楽曲たちは、ともすると些か無防備にすら感じられる。しかし、タイトル曲「Dive」においてわかりやすいかたちで現れているような音楽的特徴、すなわち「微妙にピッチの揺らいだシンセサイザーの持続音」+「エレクトロを通過したミニマルかつストレートなビート」+「その上を自由に跳ね回る透明感溢れるギター」が織りなす独特のうねりは、ある種の発明的な酩酊感を生み出すことに成功している。本盤が投じた一石が今後どのような波紋を描き広がっていくのか、その行方を静かに見守っていきたい。


[9] Cradle Orchestra 『ReConstruction Series』

リコンストラクション・シリーズ

リコンストラクション・シリーズ

 DJ JIMIHENDRIXXX(渋谷慶一郎)によるリミックスが目当てで購入したものの、その他の楽曲も予想以上に素晴らしく、今年の秋から冬にかけて繰り返し聴き続けていたアルバムの一つ。本盤の特徴としては、収録曲の多くが原曲以上に「調性感が増している」という点を挙げることができるだろう。つまりいくつかの楽曲においては、従来のリミックスのように、ある「楽曲A」を素材とした一つのバリエーションとして「楽曲A'」が提示されるというよりは、ある「楽曲A」を一つのバリエーションとして捏造するかのような架空のオリジナル「楽曲a」として提示されるといった複雑な操作がなされているような印象すら受けてしまう。“リミックス”と“オリジナル”の境界を曖昧にし不思議な反転を引き起こす“リコンストラクション”。そして、DJ JIMIHENDRIXXXによるリミックスはといえば、その圧倒的な密度の収束により、そうした反転さえも無効化してしまうほどの異彩を放つナンバーに仕上がっている。


[8] supercellToday Is A Beautiful Day

Today Is A Beautiful Day

Today Is A Beautiful Day

 本盤を耳にすれば、その収録曲の多くが「アニメ」「アイドル」「ヴィジュアル系」といったオタク文化周辺と密接な関わりを持つ楽曲たちを参照項としつつ、そこから抽出された高純度の中毒的要素の組み合わせによって成り立っていることに気づくだろう。そしてこうしたクリシェの精妙な配置を極限まで追求することによってこそ、本盤は逆説的にある種の交換不能な強度を獲得することに成功している。ギターを中心としたロックに軸足を置きつつ、そこにはピアノやストリングス、そしてブレイクビーツまでもが聴き手の脊髄反射的な感動を引き起こす“お約束”として何の躊躇もなく次々と重ね合わされる。その過剰な音像は歌詞に描かれたストーリーと極めて高いシンクロ率を保ちつつ、延々と結末を先送りしながらいくつもの迂回を経て最終的なカタルシスへと突き進む。その様はまさに「まんが・アニメ的リアリズムに基づいた奇形的なプログレッシブ・ロック」と要約することも可能だろう。


[7] Yutaka Sado + Kazue Sawai 『Point And Surface

点と面-Ryuichi Sakamoto presents : Sonority of japan

点と面-Ryuichi Sakamoto presents : Sonority of japan

 本盤に収録された『箏とオーケストラのための協奏曲』は、グート時代にリリースされた『El Mar Mediterrani』や『DISCORD』などの楽曲の流れに属する大編成の作品である。「still」「return」「firmament」「autumn」と題された4つの楽章は、それぞれ「冬」「春」「夏」「秋」の移ろいゆく「四季」と対応しており、それらは同時に「誕生」から「死」に至る「人間の生」とも重ね合わされている。その限りなく透明な響きの連なりからは、ジョン・ケージ武満徹スティーヴ・ライヒといった様々な固有名が連想されるが、しかしその一方でそうした連想が何の意味も持たないことに気づかされる。おそらくこの楽曲の最も重要なリファレンスは99年に発表されたあのオペラ『LIFE』だ。20世紀の様々な音楽様式が比類なき精度でシミュレートされた同作から“skmtの署名”のみを慎重な手つきで抽出し再結晶化させた作品、それがこの『箏とオーケストラのための協奏曲』だろう。そしてここには『summvs』や『flumina』において追求されていた響きさえもすでに含み込まれているように感じられる。


[6] Hayley Westenra + Ennio Morricone 『Paradiso』

Paradiso

Paradiso

 クレジットに燦然と輝く“Composed, orchestrated and conducted by Ennio Morricone”の文字。この点にこそあの映画音楽界の巨匠エンニオ・モリコーネ(83歳)の本気度の高さが端的に現れている。ヘイリーとモリコーネの出会いは03年のアルバム『Pure』に収録された「My Heart and I」に遡るが、極度に均整の取れた倍音構成を持つヘイリーの澄み切った歌声と 長いキャリアの中で途切れることなく紡ぎ出されてきたモリコーネ黄金比的な旋律との出会いは、多くのリスナーにとってその続きを期待せずにはいられない仕上がりとなった。それから8年の歳月を経て結実した本盤を耳にすれば、あのあまりにも有名なモリコーネの旋律たちが、新たな“音色”や“響き”の探求とともにこの上なく瑞々しい生命力を獲得しつつアップグレードされていることに鮮烈な驚きを感じ取ることができる。そしてヘイリーこそが「21世紀のエッダ・デル・オルソ」であり「モリコーネの最後の歌姫」あることが確信されるだろう。


[5] Takagi Masakatsu 『Nijiko』

Nijiko

Nijiko

 2011年4月24日。ツイッターのTLを流れゆく言葉。「『残したいあなたの声』送って下さい。素敵なプロジェクトに自由に使わせて頂きます!」 ポストの主はあの高木正勝。私はすぐに子どもたちの声─笑い声やハミングや恐竜の鳴き真似─をいくつか録音しメールで送信した。そのようにして集められた無数の声の断片と高木正勝による自由奔放なピアノの共演、それがこの『Nijiko』である。もしこの曲がポジティブな感情に満ち溢れているように感じられるとすれば、それは「残したいあなたの声」というディレクションによるところが大きいだろう。ここではまるで星が生まれる瞬間のように喜びや希望がひしめき合い、虹色のかけらを散乱させながら美しい弧を描いている。これまで世界中を旅しながら数多くの“音”や“映像”を収集し続けてきた高木正勝が、そのフィールドをSNSに置き換えたという試みそのものも非常に興味深いが、何よりこの愛おしい瞬間が詰め込まれた一曲が2011年のよき思い出の一つとなっている。


[4] Keiichiro Shibuya 『ATAK000+』

ATAK000+ケイイチロウ・シブヤ

ATAK000+ケイイチロウ・シブヤ

 04年にリリースされた『ATAK000』のリイシューである本盤は、DSDアップコンバートによるリマスタリングを経てその本来的なポテンシャルを露わにした。極めて解像度の高い音の粒子が途方もない厳密さのもとでコントロールされることによって生み出された音像は、まるで蝸牛の中にある有毛細胞の一つ一つをピンポイントで刺激するかのようなミクロレベルでの快楽性を引き起こす。そのロジカルかつフィジカルな光速の中毒性は、ある部分においてcyclo.『id』やAlva Noto『univrs』といったアルバムにおける先進的な試みさえもすでに先取りしていた感がある。さらに今回新たに追加された「1'11+」「4'33+」の二曲に至っては「おわりの音楽のはじまり」を予感させるかのような革新性に満ちた音楽形式が恐るべき完成度のもとで提示されてもいる。その意味で本盤はまさに電子音響/電子音楽のアルファにしてオメガであると言っても過言ではない。そしてCDというフォーマットで手に入れておきたい数少ない音源の一つでもある。


[3] Tetsuya Komuro 『Digitalian is eating breakfast 2』

Digitalian is eating breakfast 2

Digitalian is eating breakfast 2

 2010年は編曲家としての小室哲哉が封印されていた年でもあった。小室哲哉はすでに最新の音楽制作環境からは取り残されてしまったのではないかという不安。しかし本盤のリリースはそれらがただの杞憂であったことを十分すぎるほどに証明してくれた。小室哲哉はまるで城砦のように積み上げられたハードウェアシンセサイザーに囲まれて私たちのもとへ帰ってきたのだ。その一見“前時代的”にも映る音楽制作環境から生み出される音の一つ一つには“TKの署名”が深く刻み込まれている。それはつまりあの小室哲哉の指先がシンセサイザーの鍵盤やつまみに物理的に接触することによって紡ぎ出される唯一無二の音楽的力動であると要約することができるだろう。シンプルながら心に響くメロディ、微細なゆらぎを含んだグルーヴ、そして懐かしくも未来的な音色たち。ここには「まだ20世紀でやり残していたこと、今やるべきこと、そして今後に書き留めていたいこと」が“音楽への限りない愛情”とともにたしかに詰め込まれている。


[2] bajune tobeta + evala 『white sonorant』

white sonorant

white sonorant

 ここ半世紀ほどを振り返ってみると、“ピアノ”と“電子音”とをいかに美しい音楽/音響として融合させるかという試みが様々なフィールドにおいて連綿と繰り返されてきたとは言えないだろうか。それはまるで“フェルマーの最終定理”のように音楽界に残された難問の一つとして数多くのアーティストたちを悩ませ続けてきた。そして本盤『white sonorant』は、その“ピアノ”と“電子音”の融合という難問に対して一つの美しい解答を提示したと言えるだろう。音楽的であることをためらわないピアノと先鋭的であることをためらわない電子音響との出会い。“優美さ”と“野蛮さ”という相反する要素が複雑な経路を経て結びつけられることによって生成されたある種の“官能性”。それはどこか激しい電位差のもとで明滅する火花のように儚く、遠い日の初恋の記憶にも似た淡い切なさをも含んでいる。これほどまでにカッティングエッジな音像を保持しつつこれほどまでに聴き手を選ばないポピュラリティを獲得したアルバムを私は知らない。


[1] Haruomi Hosono 『HoSoNoVa』

HoSoNoVa

HoSoNoVa

 73年にリリースされたソロアルバム『HOSONO HOUSE』に端を発する細野晴臣による「音の響き」の探求は、フォーク、ロック、テクノ、アンビエントエレクトロニカ、カントリーといった様々なジャンルを“壁抜け”しながら半ば必然的に『HoSoNoVa』へとたどり着いた。おそらくここには、1940年代から2010年代までの、つまりは細野晴臣自身がその半生の中で体感してきたであろう音楽/音響の粋が極めて高い純度で結晶している。したがって私は、本盤についてこれ以上何かを語る言葉を持たない。この上なく素晴らしい楽曲が、この上なく素晴らしい演奏により、この上なく素晴らしい音質で録音されている。ただそれだけだ。そして今後も、その楽曲の美しさや、演奏の巧みさや、音色の豊かさに驚きと喜びを感じながら、心安らぐ波動に満ち溢れた本盤を聴き続けていくだろう。そして、もし何光年も離れた星への孤独な旅に出かけることになったとしたら、このアルバムをこっそり宇宙船に詰め込もう…そんな空想を思い描いてしまう。