渋谷慶一郎 feat.太田莉菜の『サクリファイス』はなぜかくも中毒的なのか?

サクリファイス

サクリファイス

渋谷慶一郎は様々な媒体を通して「3.11以降の音楽」をめぐる刺激的な考察を断続的に提示している。その内容を些か暴力的に整理するとすれば以下のように要約することができるだろう。

音楽には始まりと終わりがある。その意味で音楽は「終わらない日常」に対する句読点のようなものだ。しかし日常が終わりに向かうことが前提となった今、新しい音楽形式の可能性が追求されなければならない。そしてそれは単なる反復構造や起承転結性を越えたものとなるだろう。とはいえ完全におぼえられないような音楽は、その認識としてノイズとなってしまう。したがってその新しい音楽形式の可能性の一つとしては、ときに再帰性不定期に訪れ、ときにその完結性が変形されつつも、そこに直接記憶にアディクトするようなフラグメントを忍び込ませたようなものが考えられるのではないか。

そしてこの『サクリファイス』には、こうした「3.11以降の音楽」をめぐる一連の思考の軌跡が極めて高い密度で収束している。

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サクリファイス』はなぜかくも中毒的であるのか。その秘密の一端はおそらくその楽曲構造にある。つまりこの楽曲は、どのメロディがサビであるのか明確に画定することができない構造になっている。そしてこのことは同時に、すべてのメロディがサビとして認識されうる可能性を持っているということを意味している。

この楽曲の大まかな構造を示すとすれば以下のようになるだろう。

(A)→A→B→(A)→A→C→A'→B'→D

ここで(A)はAメロをもとにした前奏と間奏を示している。またA'とB'はそれぞれAメロとBメロのバリエーションを示している。

おそらく一般的な感覚としては、転調を含んだ長大なメロディCがこの楽曲の一つのピークとなっていることは疑いえない。では、このCがサビなのかといえば、続くA’では鮮烈なシンセパッドの音色とともにあのAメロが目も眩むほどの高揚感を伴いながら再び現れ、さらなる高みへと上り詰める。さらに、続くB'では、名状し難い解放感とともにあのBメロがその本来の姿を露わにしつつ、過剰に中毒的なフレーズをたたみかける。とすると、この「A'→B'」こそがサビであり、実は冒頭の「A→B」は“サビ頭”のような構成になっていたのではないかという思いがよぎった瞬間に、まるで不意打ちのように安らかな印象を伴った新たなメロディDが現れ、「さよなら もう 終わり なの」という言葉の破片とともに“永遠”と“切断”の境界を宙吊りにしたまま、甘美な余韻を残して終結する。

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もしここで、「(A)→A」を一つのまとまり「A」と捉えたとすれば、この楽曲の隣り合うメロディは、「A→B」「B→A」「A→C」「C→A'」「A'→B'」「B'→D」となり、どの部分を切り取っても反復を含まない構造になっている。

また、この楽曲のバックトラックに着目したとすれば、そこではドラムやベースをはじめとした各パートにおいて、先鋭的な複雑さとともに周到に反復が回避されていることがわかる。

そしてここで重要になるのは、単にある種の反復性や起承転結性が退けてられているということではなく、そうした反復を含まない構造の中に、直接記憶にアディクトするようなフラグメントが散りばめられているということである。つまり『サクリファイス』が持つ過剰な中毒性は、反復を含まない楽曲構造とバックトラックの中に、聴き手の記憶に直接アディクトするような旋律や和声や律動や音色を忍び込ませることによって極限までに増幅されている。

では、その旋律や和声や律動や音色には一体どのような秘密が隠されているのか。その秘密を一つ一つ追い求めるかのように、また私たちは『サクリファイス』に収められた四つのバージョンをリピートし続けることになるのだろう。

[追記]
なお、『サクリファイス』に現れるA、B、C、Dの四つのメロディにおいては、それぞれその冒頭にⅣ△7(あるいはⅣ△9)が配されているという特徴がある。とすると、その一つの響きをフックとしつつ、そこから四種類のメロディが脳内で再生される可能性が生まれる。そしてこのことはおそらく、先述のような反復を含まない楽曲構造と結びつくことにより、記憶の中で無数のメロディの組み合わせを生成することにもつながりうる。こうした点も、この楽曲が持つ中毒性の要因の一つと考えることもできるかもしれない。

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実は、この『サクリファイス』に関連した「何度も繰り返し聴きたくなる曲の作り方」については、渋谷慶一郎さんによるメルマガ『Vacuum』のVol.010の中で、このブログ記事とはまた異なった視点から非常に明快な言葉で語られていますので、そちらもぜひお読みいただければと思います!
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