keiichiroshibuy語録 vol.003

2011年6月に東京芸術大学で行われた渋谷慶一郎さんによる特別講義。その模様を文字に起こしてお伝えする第3弾。いよいよ最終回です。今回は「質疑応答」のパートを中心に取り上げますが、とても充実した内容で、最終的には結構な字数になってしまいました。そしてそこには、思わず「作曲」したくなるような言葉たちが無数に散りばめられています。当初は、「講義」ではなく「談話」だといったことも言われていましたが、渋谷さんの発した言葉だけをつなげていくと、不思議と一貫した論旨が浮かび上がり、形式的には「談話」であっても、内容的には紛れもない「講義」であったことに気づかされます。それでは、どうぞ!
(この特別講義のUstアーカイブはこちらで視聴できます。→http://www.ustream.tv/recorded/15110719

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●油絵科の学生で作曲に興味があるのですが、楽器ができないのでアドバイスをください。
 絵とは関係なく? 僕の嫌いなアクションペインティングとかではなくて? で、音楽を作るなら、それはコンピュータしかないんじゃないの。楽器できなくて、これから始めてというと。ぼくが大学にいたころは、美術の学生がタブラとか叩いていて…大嫌いだったんだけどさ(笑)。ああいうのも今はないでしょ? まあ、コンピュータだったらすぐに始められるし、あとは絵画のロジックとか自分の絵画でやっているデータとか何か結び付けてどうとでもできるし。まあ、音楽は結果的に面白ければいいんだから、やっている人も含めて。やっている様子が面白く伝わって、その音楽も少し面白く聴こえれば成立することだから、それでやればいいんじゃないかな。

●邦楽や雅楽に見られる再帰的な展開/デジタルやノイズも含めた音楽の新たな形式の可能性についてどうお考えですか?
 僕は大学にいたときに、雅楽にすごくはまって、雅楽の楽譜の書き方を勉強して、縦に漢字で笙の曲を書いていた時期もあったくらい。あと、龍笛の新しい書き方を高橋悠治さんのところでちょっと習って、自分なりに改良して、指の押さえ方を書いてその間に揺らし方の線を書いたりとか、というのをやっていたくらいはまっていた時期もあって…で、西洋的に解釈すると、一番近いのは「variations」、つまり「変奏曲」という形式だと思うんですよ。何かもとの節があって、それが変化していくというのが、邦楽とか雅楽でも一般的だと思うんだけど、すごく大雑把に言って。それは変奏ということで言うと、僕が作っている音楽ってほとんど方法としては変奏曲なんですよ。最初の10秒作って、次に作るのはその次の10秒だから…どんどん建て増し住宅じゃないけど、増えていくやり方で、ただもうちょっと大枠があって、その再帰性不定期に訪れるみたいなやり方というのはあるなと思っています。だから、形式を考えないといけないと言っていたのは、完全におぼえられないような音楽になってしまうと…おぼえられる音楽って、おぼえたあとにその人が頭の中で組み替えるじゃないですか。ちょっと替え歌というか、何回も思い出して、そのときの思い出した状況とか気持ちによって音楽が違ったりするから、そこまで考えると、僕はおぼえられる音楽の方が面白いと思うんですよ。で、それは別にメロディじゃなくてもいい。何か音一つでもいいんだけど、ある記憶に直接アディクトさせた方が面白いと思っています。ただ、形式というのは、おぼえやすい形式というのはもちろんあるんだけど、もうちょっと余地はあると思っていて、この恐らく終わりに向かっているであろう世界の中で、もっと面白い…終わりに向かうということをもっと増幅させてもいいし、終わりに向かうということをもっと変形させてもいいし、という形式を作って、その中におぼえられるフラグメントがあるということは何かできるんじゃないかと思っていて、そのときにもしかしたら、また邦楽とかアジアの音楽を勉強し直すのかなと思っています。
 ただやっぱり、受容のされ方というのは、すごく社会的なコードと密接ですよね。だから、ガムランとかケチャみたいな形式のコンサートをやっても、日本の中では民族博覧会みたいになる可能性があるなと思っていて、たとえば、バイレファンキという音楽があるんですよ。それはブラジルのゲットーミュージックなんだけど、安いドラムマシンと、声と、あとよく入っているのが警察のサイレンとかピストルの音で、歌詞は大体、警察を揶揄するような内容になっていて、でもちょっとかわいいダンスミュージックなんですよ。で、それで踊っている。僕は結構好きで、いろいろ集めて聴いているんだけど、何かそれはその社会から生まれてきて、その社会に対してアゲインストするときに、直接アゲインストするのではなく、もうちょっとサスティナブルに揶揄しながらも、でも自分たちは楽しいということが共存しているから、何か民族音楽とか伝統音楽をそのまま持ってきてやるよりも有効だなと思っているんですね。で、この間、「ATAK Dance Hall」を渋谷でやったときに、映像とやってくれという話があって…僕は今、あまり前もっていろんなことを考える時間がないから、直線でババッと決めるんですよ。で、映像の打ち合わせをその日にしていて、オープニングの映像をとにかく爆発しているような…3号機が爆発しているような映像がないか探してくれ、なるべく激しく爆発していて、炉が落ちているような感じのものをいっぱい用意してくれと言っていたんだけど…それもあとから自己分析してわかったんだけど、何か祈ろうとかいうノリは好きではないんですよね。「pray」とか言うけれど、何か外国が日本に対して言うのはわかるけど、それはすごく対象として見てしまっている言葉なんだよね、普通に考えて。だから「pray」どころではなくて、この状況に対して、何かめそめそするなら引っ越すしかないと思うわけ。でも、「ATAK Dance Hall」とかやっているわけじゃない。そのときにイメージがあったのは、昔に見たイスラエルのデモで、すごくミニマルな反復があって、あれは何ていうんだろう…音楽で言うと、トランスじゃないんだけどすごくテンションが高くて、もうガバみたいな反復で、狂ったようにアゲインストしているんだけど、ああいう、終わりに向かうなら派手に向かおうぜみたいなことが必要なんじゃないのと思って…ということで考えると、いわゆるダンスミュージックでお決まりの「タカタカタカタカ、ズッチーズッチー」みたいなさ、笑っちゃうわけじゃない、もはや。そういうのではない、ある高揚とか時間の作り方が可能なんじゃないかなと思っていて、だから、僕にとってはデジタルでやるとかクラブでやるということが、そういうある集団的なコードに対してインパクトを受けて、音楽が変わっていくということになるのかなという気がしています。

●作曲するときにはコードとメロディ、どちらから作りますか?
 同時かな。コードとかメロディがあるものについては同時に出てくるだけです。

●コンピューター音楽が生の音楽に勝っている部分はどこだと思いますか?
 一人でできるということと、あとは絶対に人間じゃできないような音の速い動き…速度とか密度とか、ということはできるんじゃないかな。それは賛否両論あるけど、とりあえずできるということは確かだと思う。

●自分の活動の方向性が決まったと思うのはいつごろですか?
 方向性? いつも決まってないよ。住所不定みたいなものでさ(笑)。どうなるのか自分でもわからない。

●デジタルとアナログの融合を意識して作品を作ることはありますか?
 いや、そういうことは全然考えないかな…。ただ、常に配分よく依頼が来るんですよね。ピアノの仕事も来れば、ポップスみたいなものも来るし、実験的なものも来るし。

●作曲の定義/音楽の定義のようなものはあるのでしょうか?
 いやあ…でも、そんなこと考えている暇があったら、作曲した方がいいから…。え? 「私が作曲だ」って?ゴダールみたいじゃない、「私が映画だ」みたいな(笑)。そんなこと思ってないけど…そんな暇ないし、今日だって、締め切りとかすごく押して来てるわけだし。だから、全然そういうことを考える必要も感じないし。そういうことは基本的には暇なやつがやることでしょ。だからそういう議論とかシンポジウムは、メンツが面白ければ行くと思うけど、たぶん荒らして帰ると思うよ(笑)。だって本当に、「作る時間」というのは、どんどん刻々となくなるわけ。年を取るといろんなことに巻き込まれて。だからそんなこと考えているなら、少しでも音楽を作りたいよね。昔は、あてどもなくコンピュータをループさせて、この音いいなあとかやっていたわけだけど、そういう時間は全然取れなくなったから…。そのことに対するストレスはすごく強いから、そんな音楽とは何かとかメディアアートがどうなっていくかなんてことを話している暇があったら、作曲したいです。
 第三項音楽については、すごく創作の源泉になっていて…たとえば立体音響で僕がやりたがるのは、デジタルでピアノをバーンって弾いて、自分の音が返ってくるわけじゃない。で、いいピアノで自分が好きな曲を弾いたりしたときにワーンと音楽が立ち上がってきたときと同じインパクトをデジタルで得ようと思ったら、もう、そういう空間を含めて作曲するしかないんだよね。2チャンネルの作品で、本当に驚くみたいなことというは結構難しくて、その動かすときの配置とか、ある種の不定形さとか、ある種の立体性というのは、全部第三項音楽がリソースだから、継続中としか言いようがないんだよね。
 というか、今は言葉でそういうことが伝わりにくい時代になっているから、伝りにくいときに「俺の話を聞け!」とかって嫌われるじゃん、普通に(笑)。そういうことをやるよりは、違うことをやって、また一周戻ってきて、伝わるときにやった方がいいと思う。
 
●好きな音はどんな音ですか?
 雨の音はすごく好きだし…何だろうな…何か視覚的にもそうだし、音でもそうなんだけど、僕は接写的な…たとえば僕は風景のバーンと開けたものよりも、マテリアルがすごく近くて、その中に非常に組み入ったものが見えるみたいなものの方が好きで、音もディレイが効いて「ブァーン」というよりは、「ザラッ」とか「ザーッ」という中にいろんなものを聴くという方が好きかな。
 蝉は大嫌い。僕は虫の音がすごく嫌いだし。だから、屋外の音が入ってくる家が嫌でさ、住めない。雨がいいなと思ったのは、大人への第一歩で、ごく最近。だから、窓越しに聴こえる雨の音がいいなあと思ったのは、本当にここ1、2年くらいかな。昔は、無音で、自分のたてる音以外何もしない方がいいし、あと僕は、家にいるときは大体音楽をかけているんだけど、それはいろんな音が気になっちゃうから、キャンセルするためにかける。
 家でかけているのは、僕はクラシックがほとんどで、あと、最近はドアーズとか聴くけど(笑)、ロックも聴いているし、フェラ・クティの息子がすごくいいアルバムを作っていて、セウン・クティという次男の人、ブライアン・イーノのプロデュースの、それもよく聴いているし、いろいろ聴いているんだけど、でも、音楽が横からもれてきたりするのはすごく嫌いでさ…隣の人がテクノとかガンガンかけていて、ツイッターで、隣の人がすごくうるさいから殺しに行こうかなってツイートしたら、音が止まったんだよね(笑)。で、これ見られているんだと思って、すごくびびったんだけど(笑)。
 でも…音楽を作っているときには音楽を聴けないから、音楽を聴ける状態というのは僕にとってはそんなに集中度が高くない時間で、メールを書いているとか料理を作っているとか、そういうときだから。シャワー浴びながら、ベートーベン第6番、爆音でとか(笑)。
 4つ打ちとかはあまり聴かないかもしれない。というか、変じゃない、家で4つ打ちとか聴いていると。「パン」とかってクラップが鳴ったりするとさ。クラブじゃないのに。だからこれ、前に雑誌で書いたんだけど、ダンスミュージックからしか、ほぼ新しい音楽は生まれないのに、ダンスミュージックは、基本的に家で聴くと変なことになっているから、そうするとセールスと結びつかないじゃない、クラブだけのものになるから。新しい音楽がディベロップされるのがクラブだけになるんだけど、でも、クラブで踊らせる機能というのは、クラブのスピーカがリズムマシンにチューニングされているから、そこにフォーカスしているからそういう音楽になるじゃない。だから保守的なままじゃない。だから悪循環なんだよね、全部。新しい音楽というのは、リスニングだけだったらそんなに大きいシェアを持たないけど、ダンスミュージックとかすごく大きいところでやれるものはシェアを持ちえるのに、踊るためにはこういうものという形式が決まってしまっているから新しくなりようがないみたいなさ。90年代以降、顕著だと思うけど。
 だから、音響は以降でしょ。新しいものがクラブからだけじゃなく生まれてきたのが。僕もATAKを始めたころに、マニアック・ラブというハードテクノのお店で、2ヶ月に1回くらいレギュラーとかやっていたわけ。で、レギュラーイベントとかって、どんどん音がハードになっていくんだよね。テクノっぽくなっていくからさ。やっぱりそれも、コードというかリテラシーでしょ。

純正律平均律のように、わかる人にはわかるといった音楽をどう思いますか?
 さんざんやっていたからね、そういうこと。ただ純正律は、僕も昔、コンサートに行ったときに思ったけど、すごく調律としてセンシティブだから、照明の熱で狂ってくるんだよね。だから曲が10分とか20分とかあるとさ、どんどん狂ってくるわけ、曲の中で。だから気持ち悪くてさ。だからこれは流行らないだろうなと思った。
 第三項音楽みたいなものは…わかるということと面白いということはまた別じゃない。あの…何だかよくわからないけど面白い人っているじゃない。僕はよく言われるんだけど(笑)。だから、そういうふうに全部わかってもらう必要はないかなという気はします。だから理解されたいというのがなさすぎてちょっと困っているというか、自分が楽しければいいみたいなところがあるから、もうちょっと大人になんないといけないなあというふうにしているんです。ヤバイだけは、もうあまり面白くないないかな。

●聴く人がどういう気持ちになるのか、作るときに打算したりするのですか?
 作るときは打算しない。というか、さっきの純正律とかもそうなんだけど…何でもいいんだよね。純正律でもいいし、シンセサイザーでもいいし、ノイズでもピアノでもいいんだけど、「ポン」とか「ダン」と鳴ったときに、時間が生まれるわけじゃない。それがいいというのはある種の奇跡だと思う。奇跡が起きたときに、それを壊さないように作っていくのが音楽だと思っていて、だからその…平均律がどうとか周波数律がどうとか、そういうのは本当はどうでもよくて、それがずっと形として続いていって、ある時間が終わればいいと思っているから、打算する余裕はそんなにない。でも、たとえば「SPEC」の音楽を作ってくださいというときに、「ザーッ」とかいっていたらさ、話はそれで終わるでしょ。馬鹿だよね、単に(笑)。それは、よく言うんだけど、人と会ってさ、たとえばラーメン食べたいなあと思っていたときに、女の子がすごくお洒落してきてさ、でも自分はラーメン食べたいからって押し通さないじゃん。じゃあちょっと違うところに行こうとなる。それと同じようなもので、前提というのは。それは僕はすごく苦になることではないので。

●作曲をするきっかけになった体験は何ですか?
 あのね…ネイティブアメリカンに育てられて…というのは嘘なんだけど(笑)。何だろうな…ピアノの先生がきれいだったんだよね。一番最初は。それで何となく続いていって…で、作曲と決めたのは、僕は中学のときに、父親が癌にかかっていることを宣告されて、俺はもうすぐ死ぬからお前何やるか決めろと言われたわけ。で、たとえば、お前が歯医者になりたいんだったら、俺は金を貯めなくちゃいけないし、それによっては、俺が死ぬまでの生き方が変わってくるから、何やるかあと1ヶ月で決めろと言われて、「えっ!?」となったんだけど、美術館に行ったり、本屋に行ったり、コンサートに行ったりとかして、一番面白かったのが作曲だったから、それで決まったの。芸大に入れば、いろんな資料とかもあるし、教えてくれる人もたくさんいるんだろうから、一番それが早いんだろうなって。

●変則的な構造から人が口ずさめるような中毒性を生み出すことは可能でしょうか?
 そこなんだよね。すごく僕が今興味があるのは。変則的なものが変則的に受け止められるというのは、複雑なものが複雑に受け止められるということじゃない。当たり前じゃん、それは。だから、すごく複雑なんだけどおぼえられちゃうとか、そういうものができるんじゃないかなという気はしている。
 たとえばフロアで、常に変則的だと、変な感じになるじゃん、場の空気が。で、それはそんなに面白くないから、ああいう場としてはもっと周期があるんだけど、それが変わっていくということになると思うんだけど、曲単位って3分とか5分とかだし、たぶん今の状況だと5分の曲って長すぎると思うんだよね。3分台とか2分台で十分だなと思っていて、そうするとその中でいろんなことが起きていても…たとえば、ジェイムス・ブレイクなんて、すべてが面白いとは思わないけど、あれは歌だけずっとループしていて、バックトラックだけ変化し続けたりするじゃない。それで突然終わったりとかするのが、ポップミュージックとして受け止められたりすることがあるし、もっと形式というのを人為的にではなく、シミュレーティブに作って、ただ中身に入っている音はキャッチーというかアディクトしやすくて、というのはできるんじゃないかなという気はしている。

●渋谷さんはどんな機材を使っていますか?
 MacBook proがあって、オーディオインターフェイスがFireface400というやつで、僕は満足していないんだけど、で、ミキサーは普通のMackieだし、Prophet-5があって 、あとは、ORGON SYSTEMという弁当箱みたいな、たぶん200台くらいしか使われていないアナログシンセがあって、それもときどき使うけど、ずっとそんな感じかな。あと昨日、KRONOSというのが届いたけど、新しい機材というのにあまり興味がないから、そんなに変わらないよ、何年単位では。KRONOSは久々に面白いと思った。ああいうワークステーション型のシンセでそう思うのは僕にはすごく珍しいことだから、ちょっと使い込んでみようと思ってやっているけど。

●音楽で泣いたことはありますか?
 たくさんありますよ、それは。だって、感情を揺るがす音楽を否定している人って頭おかしいでしょ、どう考えたって(笑)。全然否定しないというか、弾いていても泣いちゃうこともあるし。

●頭の中にある音が一番きれいとのことでしたが、それを表現するための方法をもっと知りたいです。
 僕は全然、iPodとかそういうのを聴かないの。大体何もしていないときに音楽がぼんやりある感じなんです。たとえば、ツイッターとかも見れないような環境で何もしてない状況に閉じ込められると、大体ふーっと何か出てくる。それをメモするときもあるし、メモしないときもあるんだけど…それがあるときというのはよい状態なんだけど、それをたとえばピアノに置き換えるときというのは…置き換えたときに壊れちゃうことがある。逃げちゃうというか。だからそれを逃がさないように、そっと…恐る恐る、2音とか指で触るような感じで追っていって、あ、こっちだこっちだ、つかまえたみたいな感じに僕もなる。だから、よく想像することは、誰もいなくて、何もなくて、音楽というのもなくて、この今最初に落とす音というのが、「最初の音」だったらどうなんだろうと想像して作り始めると、結構すぐにささっとできるかな。ピアノに限らずコンピュータでもそうです。

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「文字起こし」というのは単純な作業であり、時間さえあれば誰でもできることだと思いますが、その中で得られた「着想」や「語彙」というのは、今後、音楽を聴き、それらを言葉で語っていく際に、きっと大きなプラスになるだろうという予感があります。Ustアーカイブを視聴した際にはうっかり聞き流してしまっていた中にもキラリと光る言葉たちを再発見してもらえたとしたら、そしてそこから、音楽に関係することであれ、音楽に関係しないことであれ、何かしら前向きなインスピレーションを受け取ってもらうことができたとしたら、とてもうれしく思います!