ポップアナリーゼ

『思想地図β』に収録された菊地成孔佐々木敦渋谷慶一郎による座談会「テクノロジーと消費のダンス」の中で中心的な話題となっていた「ポップアナリーゼ」という言葉が最近気にかかる。

「ポップアナリーゼ」とは、文字通り「大衆音楽(ポップス)の楽曲分析(アナリーゼ)」を意味しているが、この座談会の中では「アナリーゼの大衆化」、さらには「大衆によるアナリーゼ」といったものを含めた広い射程のもとで用いられているようにも感じられた。

菊地成孔は、音楽批評の次の(あるいは別の)段階として、「アナリーゼ」が残されているとした上で、次のように述べている。

「ゼロからやればいいと僕は思っています。楽譜を読むことや調性原理なんて高校の数学と比べてもたいして難しくないんですから。いま僕がフジテレビのONE TWO NEXTで大谷くんとやっている「憂鬱と官能を教えたTV」という番組は、鍵盤を始めて触ったような人に、ドレミから始めて、ポップアナリーゼができるようになるまでをバラエティとして見せるということをやっています。それを大きなメディアでやれば一年で定着できるでしょう。それが世の中を変えるとは露とも思いませんけれど、できることはあると思っています。」

ここで言及されているテレビ番組のモチーフとなっているのは、菊地成孔大谷能生による共著『憂鬱と官能を教えた学校』だ。

憂鬱と官能を教えた学校

憂鬱と官能を教えた学校

この書籍は、「バークリー・メソッド」をベースに20世紀の音楽を俯瞰する中で、調性や和声についての理論をユーモアを交えつつ刺激的に解き明かしたもので、今後、「ポップアナリーゼ」の基礎文献となりうるであろう重要な著作である。

さて、こうした読解の格子を身につけた上で行われる「ポップアナリーゼ」が浸透したとして、先の座談会における渋谷慶一郎による次のような発言は示唆的である。

「僕は批評はまず創作に対して刺激的にならないと意味がないというプラトニックな感情を持っています。そして批評した対象にその批評が届くかどうかという力のバランスにもっと敏感になるべきだと思います。」
「批評というものに最終的に意味があるとしたら、次の創造を生むかどうかということだと思います。」

音楽批評の次の段階としての「ポップアナリーゼ」。そしてそこから、次の創作につながる言葉を紡ぎ出すことはできないだろうか。そんなことをふと頭の中に思い描いた。

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「ポップアナリーゼ」といえば、山下邦彦による『楕円とガイコツ』もその一つのモデルとなりうるのではないだろうか。

楕円とガイコツ

楕円とガイコツ

この著作では、「ダエン(ドとラという二つの中心を同時に持つような音楽的特徴)」と「ガイコツ(4度音程を基調とした旋律)」という二つの分析装置をもとに、小室哲哉坂本龍一の楽曲を行き来しつつ、その音楽的魅力が非常にスリリングに語られていく。

たとえば、この本の中では、globeの「Freedom」について次のような分析がなされている。 

 そして、サビのクライマックスで、すごいメロディーが出てきます。
 ♪ラドレミ〜、というメロディーなのですが、なんとそこで鳴っているコートはGなのです。
 Gのコードの構成音は「ソシレ」。それに対してメロディーは「ラドレミ」。コードからズレるといっても、これほど激しくズレているメロディーは聴いたことがない、というくらいズレまくっています。
[…]
 小室哲哉のマネをしようとする人は、こういうところで、きっとコードにメロディーを合わせてしまうのです。…
 …ここでは「Gに対してさえ、ラドレミというメロディーの傷の深さ」にぶちあたります。…
 そして、その傷のようなメロディーで小室哲哉が発している言葉は「か・ん・じ・る」という4文字でした。

自分が魅力的だと感じる楽曲を、基礎的な音楽理論をもとに平明に分析すること。そしてそれが、専門家によるアナリーゼではなく、大衆によるアナリーゼだとしても、次の創造につながる言葉を紡ぎ出すことができるかもしれない。こうした、いわば「ポップなアナリーゼ」にも、このブログの中で挑戦していけたらと思う。

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このブログ、次第に「字数を気にしないツイート」のようになりつつありますが、まずはゆるゆると続けていきます!