TKポリフォニー/即興性が生み出す偶発的快楽

小室哲哉によって生み出される音楽の魅力を、彼自身による「アレンジ」と切り離して考えることは難しい。その魅力について語る上で、まず坂本龍一による次のような発言を導きの糸としたい。

 それって、そういう楽理をまったく知らないブライアン・イーノたちが始めた響きなんだよね。「ドミソ」と鳴ってるんだけど平気で上にファがくる。…和声の重力でいったらたとえ下にミがあっても、ファはどうしてもその重力に引っ張られて、ミに解決してほしいわけ。だけどあの人、しないんだよね(笑)。さらに平気でファがソに行っちゃったり…。
 …でも、その響きがイーノだよね。恐らく、あれは多重録音のせいもあってそうなっている。最初にコードだけ録音して、その後からまた違うシンセか何かを、メロディらしきものだったりを適当に弾くじゃないですか。それでぶつかっているだけなんだけどね。(坂本龍一『/04 オフィシャル・スコアブック』)

 …イーノの場合はバラバラに録ったものをカシャッて合わせたりするから。まあメロディで動いているのと、電気ピアノとかで弾いたハーモニーが偶然こういうふうに[「ソシレ」の中で3度のシと4度のドが同時に]重なっちゃう、ということなんですけどね。(坂本龍一『/05 オフィシャル・スコアブック』)

ここで坂本龍一は、彼が「イーノ・コード」と呼ぶ、ある種の不協和音について語っている。「イーノ・コード」とは、ある和音の中に解決されるべき不協和音がすでに混入し、その結果として不協和から解決へと向かう力学が無効化された響きを指している。その意味でこの「イーノ・コード」は楽理的には端的に誤りである。しかしそこには抗し難い魅力が潜んでいることもまた事実である。

 最初はすごい抵抗があるわけじゃないですか。ところが、だんだん好きになってきちゃって(笑)、OKになってきちゃって。
 …短9度[たとえばシとドが同時に響くような不協和音]というのが好きになってきて、しかもその短9度が半音でずり落ちて解決しない動きも好きになってきて…随分変わってきたんですよ、僕。以前だったら絶対許さなかったんだけど。
 …これって、「ド」がなければ普通の「ソシレ」でしょ。ついでにナインスとか入れるとこうなっちゃって、最近、好きなやつね。わざと短9度にして…間違い(笑)。すごい間違いなんだけど(笑)、恐ろしくて最近までできなかった。すごいことだ。(坂本龍一『/04 オフィシャル・スコアブック』) 

そもそもこの「イーノ・コード」という着想は、多重録音的な手法から偶発的に生み出された響きから得られたものだ。そこで本記事では、この「イーノ・コード」という着想を、「一つの魅惑的な響き」といったその本来的な意味合いから些か拡張させ、「ある種の偶発性が生み出す音楽的力動」として捉え直すことで、小室哲哉による音楽の魅力を語る上での足がかりとしたい。

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89年にリリースされた『Digitalian is eating breakfast』。本格的にシンクラヴィアを導入したことで知られるこのアルバムは、リリースから20年以上経つ現在においても、極めて未来的な音響美を誇っている。そしてこのアルバムにおいては、それ以後生み出されることになる数々のヒット曲にもつながる、彼の音楽的な魅力がわかりやすいかたちで現れている。

このアルバムに収録されたいくつかの楽曲を聴き、まず耳にとまるのは、ドラム、ベース、リフ、シーケンスといったあらゆるパートにおいて、周到に、そして半ば偏執的に「繰り返し」が避けられているという点である。こうした音楽的特徴について小室哲哉は、95年になされた坂本龍一との対話の中で次のように語っている。

…僕なんかが、遅ればせながらって感じで、ループのリズムをやったのもここ5年くらいですかね。…それまではイントロからエンディングまでずっと打ち込んでたんですよ。
…自分をドラマーと思ってですね、まずはハイ・ハットを入れて、次はスネアとか。ま、今でも、そういう方法でやってるとこもありますけど。(『小室哲哉音楽対論 Vol.1』)

89年の小室哲哉は、まだ「ループ」という手法と出会ってはいない。そしておそらく、ドラムをはじめとする各パートは、イントロからエンディングに至るまで多分に即興的な要素を織り込みつつ打ち込まれていた。さらにそこには、リアルタイム入力に由来する、タイミング、ベロシティ、デュレーションなどにおける「ゆらぎ」までもが積極的に含み込まれている。

こうした微細なゆらぎを含みつつ徹底して繰り返しが避けられた各パートが重ね合わされた瞬間に生み出される、ある種のポリフォニックな音楽的力動こそが、小室哲哉の音楽的魅力の一つをなす重要な要素といえるのではないだろうか。そしてこの「TKポリフォニー」とも呼ぶべき音楽的力動は、バックトラックのレベルにおいても存分に発揮されているが、その上にボーカルやコーラスが重ね合わせられることにより、さらに増幅される。

山下邦彦による『楕円とガイコツ』においては、小室哲哉の音楽的魅力が、主にコードとメロディのぶつかり合いという観点から分析されている。そしてこれらは小室哲哉による「アレンジ」─すなわち即興的に生み出された各パートのぶつかり合い─をも視野に入れつつ分析を進めることにより、その核心に迫るための新たな可能性を切り拓くことにつながるのではないだろうか。

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小室哲哉がリアルタイムで打ち込むドラム、ベース、リフ、シーケンスといった各パートは、ある部分でキース・ジャレットの即興演奏にも似た官能性を有している。そしてそれらがブライアン・イーノの多重録音のように、半ば意図的に楽理を無視しつつ重ね合わされた瞬間に、名状し難い偶発的な快楽が生み出されることになる。その意味で小室哲哉の音楽的な魅力は、彼が敬愛する二人のアーティスト─キース・ジャレットブライアン・イーノ─が複雑な経路を経て交差した地点において現れる奇跡的な瞬間の連なりにあるということもできるだろう。また、小室哲哉と他のアレンジャーを分かつ決定的な差異があるとすれば、その原因は、おそらくこの「TKポリフォニー」の有無にこそ潜んでいる。